にゃん

アホ性悪メンヘラ陰キャ根暗ブス

はあ

今日は嫌なことがたくさんあったよ、でもちゃんと外には出さずに堪え切った。耐えたよ。自分は偉いなって思った。辛いの。嫌なことを嫌って言えないのが辛い、嫌だと言うことを他人に理解して共感してほしいけど多分されないからできないの。嫌な思いで頭いっぱいいっぱいで、元気が出ないから、今日はいっぱい寝ようと思う。寝たら、死なない限り起きることになって、起きたらもうすでに朝日は登ってるの。それで新しい一日が来たってことで、昨日とは区切りをつけて切り捨てて生きていくの




多分私の考え方が不幸なんだ、何が幸せかじゃなくて、何が不幸かで考えてる。幸せじゃないイコール不幸ではなくて、不幸イコール幸せじゃないではないんだ。幸せの基準とは別の場所に不幸の基準があって、日本語にはそれを表現する言葉が見当たんなくて不幸って表現になってるけど、幸せじゃないの極限は不幸とは限らないんだと思う。幸せっていかに満たされているかの指標で、不幸はいかに心が乏しいかではなく嫌悪感で満たされているかの指標なんだろう。それを理解し直して考え直すのが大事なんだろうね。私にはそう考察しても理解しても共感とか納得はできる自信がないけど。





私のね、好きなものを、前から大嫌いでしかたのない人も好きになっちゃったの。まずそれを知らせて来た人が嫌い。私はその大嫌いな人のことを心の中で極限まで薄めて薄めてきたのに、急に私の心で存在感を取り戻した。私は忘れたかったのに、その人は私がその人のこと嫌いってこと知ってるはずなのに、嫌がらせなのかな?って思う。嫌がらせじゃないとしてもあまりにデリカシーがない。正直縁を切りたい、死んでほしい。それで、私はその嫌いな人が好きなものを今まで嫌いになってきた。それを見るたびその人が脳裏をよぎるから。なのに好きなものまで。最初から、自分と同じものが好きな人が、いい感じの人ばっかりだとは期待してなかったけど、なんだかガッカリ。ここは不幸の領域で、できる限り減らしていくべき領域で、だから正直幸せが減っても不幸を減らすべきだと思う。その好きなものを捨てるべきだと思った。でもなんか悔しくて、好きなのに不幸なままなんだよ。なんかもうめちゃくちゃ。ほっといてほしい。知りたくなかった。考えるのも辛い。でも自分の意思とは関係なく出てくるんだもの。記憶喪失になりたい。忘れたくて仕方ない。それがダメなら私がいなかったことにしてほしい。もうだめだ〜





嫌なこと思い出すとお腹が痛くなる。だからわざわざ今思い出して書くのもよく分からないけど、でもお腹が痛くなってでも忘れるべきでない教訓なんだろう。私は早く縁を切るべきなんだと思う。たとえ良心でも、良心だとしたらなおさらだけど、気が合わないんだから縁は切りたい。でもなんだか言葉で縛り付けられてて、いろいろな制約で縛り付けられてて、やっぱり人間はダメなんだと思う。人間はダメなんだよ神様!バカだな!少なくとも私と言う人間はダメだよ。もうやだ。





お腹が痛い。嫌なことが多い。逃げられないことが多い。怖い。人生は怖いことだらけだよ。夢はあっても希望はないの。夢だらけで希望は一切ないの。私の人生がそうなんだ。どうしようもなくて行き詰まってて、詰んでるのにやめさせてもらえないの。神様は放置しちゃってて、なんだかもうだめだ。見捨てられるどころじゃなくて忘れられてて、もしかしたら永遠に思い出してもらえないかも。人生辛い。人間全員苦手。動物がちょっと厳しい。植物もダメ。無機物だって少し怖いし。なんかもーだめ。なにもかもがだめ。少なくとも人間は私のこと助けてくれない、誰か助けたほしいけど、助けてくれる人なんていないんだろーね




人のこと気遣うの疲れたよ、私はもう私のことで手一杯、私さえ扱えないのに他人に触ろうなんて思わないよ。ほっといてくれよ、気を遣われなくて怒らないで、気を遣ってさらに怒るくせにやめて、私をほっといて、



このブログは、いかに私がかわいそうかを苦しい言い訳で自己弁解してるだけだけど、でも私としては辛くて仕方なくて我慢できない心の爆発を、ここでガス抜きすることで防いでるだけなの、ただの道具なの、自己弁解が爆発防止してるの、私だけでも私のこと正しいって言ってあげてるの